Austinsuiteに関するあれこれ
オースティンスイートAustinsuiteの歴史 ブリビ的解釈

創業者と背景
ブランドの創業者であるフランク・オースティンは、ユダヤ系移民でありました。
オーストリアから英国に移住し、プリマス(英国南西部)にて、英国内唯一のユダヤ人による竹製家具会社を設立しました。
英国ヴィンテージ家具職人には、多くの移民がかかわっております。
ストーンヒルstonehillなんかもそうです。
生きるか死ぬかです。
ジープランG-PLANやアーコールERCOLのような純国産?とは違いますから、家具にかける魂が違います。
第一次世界大戦中、姓を「オースタイン」から英語風の「オースティン」に改め、これが後のAustinsuiteのブランド名に繋がります。
移民であるがゆえに、こういうところも大切だったのかもしれません。
1928年 - 創業
1928年、フランク・オースティンとその3人の兄弟が家具事業を開始しました。
当時は家具製造業が拡大する時期であり、特にロンドン郊外に住むニューリッチ層からの需要が急増しました。
この年代のオースティンスイートAustinsuiteは見たことがありません。アンティーク調のデザインの家具だったはずなのですが、小規模でやっていたのかもしれません。
1930年代には住宅の大型化に伴い、3ベッドルームの家が一般的となり、家具の需要も拡大しました。
この頃にブランド名「Austinsuite」が誕生しました。

第二次世界大戦とその影響
第二次世界大戦中、英国の多くの家具メーカーと同様、Austinsuiteも通常の家具製造を中断し、高い木材加工技術を活かして戦闘機の部品製造に携わりました。
この期間、英国の家具製造業全体が停滞しましたが、戦後には復興とともに再び成長の機会を迎えます。
ある意味、世界大戦により家具製造が思うようにできなかった鬱憤。
作りたい!というエネルギーが、北欧デザインと合流し、爆発したのが1950年代60年代でもあります。
戦後 - ミッドセンチュリーの黄金期
戦後、Austinsuiteはミッドセンチュリーデザインの流行に乗り、時代の先端を行く家具を製造しました。
北欧デザインからインスピレーションを受けたシンプルで機能的なデザイン、チーク材やマホガニー材を用いた高品質な仕上げが特徴です。
さらに、優れたデザイナーを積極的に雇用し、クラフトマンシップを引き継ぎながらも新しいトレンドを取り入れる姿勢を持ち続けました。
ブリビ流解釈
ジープランG-PLANなどは、巻き貝の取っ手、特徴的な脚の形状、トーラアンドブラックシリーズなど、特徴的なデザインをしています。
一方、Austinsuiteオースティンスイートの家具には、派手さがありません。
ブリティッシュ・ミッドセンチュリー・シンプルモダンの王道とも言えます。
結果、細部までの思考、作りこみが必要です。
極めてシンプルです。
「個」「我」を出さないデザインです。
結果、職人の腕の見せどころになります。
シンプルなほどに、職人の腕が目立ちますから。
神は細部に宿る。
そんな言葉が似合うヴィンテージ家具ブランドです。
また、小さめの家具が多い気がしております。
一回り、ジープランG-PLANなんかと比べると小さい。
サイドボードやチェストなんか。
家具!というよりは、身体の延長のような。
そういう心地よい大きさ。
あるいは女性らしい、少し小柄な感じ。
結果、ドレッサーをオースティンスイートAustinsuiteは結構多い気がしております。
男性主体の職人集団が、女性のための家具を考える。
そんなことがあったかもしれません。
シンプルなヴィンテージのオースティンスイートAustinsuiteの家具からは、「侘び」「寂び」を感じております。
「侘び」とはつつましく、質素なものにこそ趣があると感じる心。
「寂び」時間の経過によって表れる美しさ。
侘び、とはオースティンスイートAustinsuiteであり、
寂び、とはこっちのヴィンテージであります。
侘び寂びの本質は、まだ分かっておりません。。。